兵庫のため池

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東播磨のため池

東播磨地域で農業生産が本格的に始まったのは、鉄器やかんがい技術の普及により、耕地が拡大した古墳時代です。
白鳳3年(675年)に築造された岡大池(天満大池の原形)をはじめ、加古川においては五ヶ井堰がつくられ、荘園の発達をみるに至りました。
戦国時代には、新田開発が盛んになり、築城や金銀の採掘などの技術をいかし、河川の上流から水を導く方法が普及。さらに江戸時代には、林崎掘割や新井水路など、河川から水を引いてため池に水を貯める技術が取り入れられ、水の確保が比較的容易となりました。明治時代以降、畑作から米作への転換が図られつつあった印南野台地をかんがいする淡河川疎水や山田川疎水の建設、さらには淡河川疎水の付帯施設である練部屋分水をはじめとした水利施設の進歩などにより、日本有数のため池密集地へと発展しました。
東播磨地域で築造されたため池は、県下で最大規模を誇るため池を含めて1,000以上を数え、現在でも約600のため池が残存。そして、そのため池群は血管のように張り巡らされた水路網によって結ばれています。
これらのため池群や水路網は、農業水利施設としての機能に加え、人々とのかかわりのなかで、周囲の風景にとけ込み、地域独特の景観を形成。人々は、長い歴史のなかで、いなみ野の自然との共生を図り、天満大池の満水祈願をはじめ、ため池にまつわる祭事や伝統行事をはぐくみ、まさに、東播磨地域ならではの固有の「ため池文化」を培ってきたのです。
いまもなお、生活様式や生活慣習などさまざまな側面において、その足跡を色濃く残しています。

東播磨の概況東播磨の概況

・ 東播磨地域は明石市、加古川市、高砂市、稲美町、播磨町の3市2町からなります。
・ 東播磨地域の気候は、温暖で降水量が少ない瀬戸内式気候に属しています。
・ 明石川から加古川に至る「印南野台地」は、古くより水不足に悩まされ、水を得るための技術が発達し、ため池などが整備されてきました。

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